TOKI NO ODAMAKI
愛して止まないもう一つの島
祈りは時間を超えて末来に届くはず
今はただ時の狭間に。。。。。
04年1月10日 ジャック・モイヤー博士の死
悲しい知らせが飛び込んできた
せめて安らかに ジャックさん
そして沢山ありがとう。。。
その年を
迎える一番初めの日 私達はそこにいた
東京で迎える最後の新年をここで過したかった
雄山から
御来光を待つ僅かな時間の空気は張り詰めていた
秋にはリンドウが咲き誇った銀のススキと水蘚の原も
龍に鳳凰に姿を変える雲の下で静かに眠っていた
初めての
磯釣りをした夕方 三本岳はいつものように雄々しく
幾重にも連なる低い雲から溢れる光は優しかった
その年の
一番初めの夕日が明日を約束した時
私は確かに この島にいた
数ある三宅島ツアー報告書の中で、
海も山も網羅した大作がこれ。
泡ブク友達魚っちゃーさんの力作である。
私としては頷けない部分もあるけど
「あの頃」の仲間は今も元気に泡の中(笑)
三宅島報告より
《波乱万丈編》
10月31日、竹芝桟橋を出航を待つばかりの「すとれちあ丸」は、3連休を前にして大混雑。
きじむなあさんとトノ夫妻、s夫妻、そして私の5人も、危うく「難民状態」になりそうながら、なんとか寝る場所を確保。出航直前に乗り込んできた
若い女の子2人組が、となりの釣り人グループの場所を指して「そこ2人ぐらい入れませんか」と頼み込んできたのですが、人の確保した場所を勝手に譲るわけにもいかず、涙をのんで丁重にお断りする。後で、Sさんのご主人いわく、「若い子だったし、僕の上でもよければいいよ、って言えばよかった」と悔しがることしきり。。。
それはともかく、心地よい揺れを感じながら約6時間の船旅を終え、やってきました久しぶりの三宅島。眠い目をこすり、仮眠をとるために一路阿古のペンションサントモへ。
そして、11月1日の朝、窓から見える景色は、「天気晴朗なれど波高し」御蔵島へイルカに会いに行くつもりだったきじむなあさんはフテ寝を決め込み、残るメンバーはとりあえず潜れそうな伊ケ谷港に向かうが、ここもノースショアのようなビッグウェーブが次から次へと押し寄せ、かろうじて潜れそうな防波堤の内側も、うねりにかき回されて、いわゆる「味噌汁」状態。
無理して潜っても楽しくはなさそうなので、中止にしようと思ったのですが、同行した「ダイビングは1年ぶり」という女の子ふたりグループが「せっかく来たのだから」というのにつられて、とりあえずエントリー。
ところが、これが事件のはじまりだったのです。肝心の女の子2人組は、飛び込んだ途端にマスクがずれてパニック状態。ガイドのアシスタントさんが2人を陸に上げているうちに、透明度2Mの悪条件が災いして、残る私たちのグループは二手に別れてしまい、「慣れている場所なので、そのうち会えるでしょ」とタカをくくっていたのですが、ついに生き別れ状態。後で話すと同じ場所に居て、ガイドロープ上ですれ違ったはずなのに、お互いがどうやら水面に浮上して探しているうちにスレちがってしまったようです。なんてぇこった。
捜索をあきらめたガイドさんに、私たちだけカミソリウオを見せてもらってしま
いました。トノ、ごめん。m(. .)m ( つづく)
《秋の雄山散策編》
そんなわけで、午後はダイビングはあきらめ、秋の野草が見ごろという雄山の散
策ということになりました。
高原にリンドウが満開という情報に、きじむなあさんもフテ寝どころではなく、ダイバー変じて「にわかトレッカー」の団体は雄山を目指しますが、中には短パン、ビーサンという夏のリゾート・スタイルの女の子も混じっていて、どう見ても「山をなめてる」としか思えん!! もっとも、標高814mの頂上近くまで続いているので、歩くのはほとんどフラットな場所だけなんだけどね。。。。
雄山は、夏に子供向けの自然教育プログラムの手伝いで何回か行っているのですが、澄み切った秋の空をバックにススキが輝く秋の風情はまた格別です。涼しいので歩くのもラクチンというのがまたうれしい。
高度をあげるにつれ、車窓からは野菊やアザミの咲き乱れる景色が見られ、クルマを降りて歩き始めると、キリンソウやウメバチソウの可憐な姿が見られます。そして、古い火山のカルデラにできた八丁平という草原には、まだつぼみのものが多いけれど、淡い紫色のリンドウがあちこちに姿をのぞかせています。
高原の中央は、ちいさな湿地になっていて、ミズゴケが天然の絨毯のようにしきつめられています。踏みつけるのはかわいそうな気もしたけれど、誘惑に負けてちょっとだけ上をあるいてみると、フッカフカの綿布団の感触です。
そこに座って、グルリと周囲を見回すと、秋の空と草原を隔てる輪山と、風にそよぐ草原が360度。そして、その山の切れ目にはキラキラ光る海。視界に人工物が一切見えないこの景色は貴重です。
展望台に登れば、海にはポッカリ浮かぶ、大島、利島、新島、神津島、御蔵島が一望のもと。新島のむこうには、はるか富士山までもがうっすらと姿を見せていました。
さてさて、明日はどんな一日になるのやら。。。(つづく)
《妖しの股桜編》
11月2日明け方。1日遅れてやってきたあつしさんがゴソゴソと部屋に入ってきた物音で目覚める。窓の外は不吉なピューピューという風の音。
風が西から北東に変わったので海況はよくなりそうというが、まだ心配。
きじむなあさんは、トノと別れてひとり寝だったけど、どんな夜を過ごしたのでしょうか。
実は、前日雄山の帰りに、「珍木・股桜」というのに案内してもらったのですが、ここできじむなあさんがとんでもないことをしてしまったのです。
ここには、股桜のほかにも栃の木と、椎の木と、桜の木が絡み合って合体した不思議な老木があり、これにいろいろな「やどり木」がつき、「ミニ熱帯雨林」ともいうべき複雑な生態系を形成しています。よく、このような木には男女のシンボルを思わせる枝や穴があって、信仰の対象になったりしていますが、その例に漏れずここにも怪しげな効能をしるした看板がいくつか立っていました。
珍木・股桜は、木の幹がちょうど人がくぐれるぐらいのトンネルになっていて、その上に45度の角度の枝が突き出しています。
いわく、「性にお悩みの男女は、枝を三回こすってから、穴をくぐると霊験あらたか」とか。。。
そこへ、いきなりあらわれたきじむなあさん、何を思ったか、チラッと看板に目をやるや、やおら枝を三回こすり、穴の向こうへ。。。
「・・・・」、口を開けて見る私を見て、ニッコリほほえみ、「若くなるんでしょ??」とのたまう。
おそるおそる、看板の意味を説明すると、あらためて読み直し、「やだぁ!」なんて、こっちのほうがよっぽど「やだぁ!!」なんだけど。。。(^^;)
その晩、夜トイレに起きた私は、きじむなあさんの部屋の前を、ちょっとドキドキしながら、足早に通り過ぎたことはいうまでもありません。
それにしても不可解だったのは、男女別相部屋だったので、ずっと私と一緒に寝ていたはずのトノが、翌日から急に腰痛になったことです。さすがに、珍木・股桜の威力。。。、ペンションの壁をも貫き、トノを襲いしか。。。 (つづく)
《イルカを呼ぶ女編》
いろいろあった連休も2日め。風向きの変わった海は多少の波が残るものの急速にコンディションを回復させているようです。
きのうのウラミを果たさんと、はりきって海へ向かう私たちを傍目に、なぜかダイビングをパスするのはきじむなあさん。この日の午後、ドルフィン・スイムに行く予定なので、全力をそれにつぎ込むつもりのようです。
ダイビングのほうは、予想外の好コンディションで、帰り道には、きのう見損ねたウミテングを探すために、途中でタンクを調達して1ダイブを急遽追加。午前中に2時間近くも潜って、名前を聞くだけでも人もうらやむサカナをたくさん見ました。
タツノオトシゴ、ナンヨウツバメウオ、モンガラカワハギの幼魚、ツマジロモンガラの幼魚、フタスジタマガシラの幼魚、イザリウオ、トノサマダイ、ホシゴンベ、ツユベラの幼魚、コロダイの幼魚、モヨウモンガラドウシ、ウミテング、テンスの幼魚、ユウゼン、テングハギの幼魚。。。etc.
予定時間を大幅にオーバーしたので、待ちかまえるきじむなあさんと合流し、お昼を食べる間もなくオニギリをほおばって港へ。出港ギリギリに漁船に乗り込み、一路イルカの待つ御蔵島へ。。。
きのうの時化がウソのような海。ほかのお客さんはガイドさんに脅かされて船尾のほうに陣どってしまったので、船首にいるのは私ときじむなあさんだけ。甲板に大の字になって、飛沫のかなたに遠ざかる三宅島を眺めていると、浮かんでくるのは「港街ブルース」のイントロ部分。やぁっぱり、海は演歌だぜぃ。
「イルカさ~ん、待っててねぇ。。。」などと、勝手な唄を口ずさんでいると、アッという間に御蔵島。もう、絶好調!!
さて、ジャック・マイヨールもかくやという集中力でイルカに賭けているきじむなあさんは、船の上からイルカと交信ができているようです。島の半分ぐらいを流してもイルカのイの字も見えなかったのに、突然「そろそろ来る。。。」
驚いたことに、突然船がスピードを落とす。船長がイルカを見つけたようです。頃合をみて、ガイドさんがみんなを海に入れますが、きじむなあさんはちょっとタイミングをずらして飛び込みます。あわててビデオをかかえて飛び込む私。なんと、1頭のイルカがピッタリ私たちに寄り添い、きじむなあさんと組んずほぐれずで水中をクルクルと泳いでいます。そして、カメラをのぞきこむようにして私の周りをグルグル回り、5分近くも遊んでくれました。
この日は、合計3回、イルカと泳ぐことができたのですが、イルカに関しては私はきじむなあさんを信じて、常に彼女の後をついていました。おかげで、結構素晴らしい映像を撮ることができたのです。その点、きじむなあさんがためらっている間に飛び込んでしまって、空振りしてしまったトノって。。。。(^^;)
圧巻は、イルカ3頭に囲まれて4Pプレイを繰り広げるきじむなあさんの姿。。。
ま、あれを見たら、きじむなあさんがイルカに関してはどんなにうるさくても納得してしまうだろうね。(^^) みなさんにもぜひお見せしたかった、きじむなあさんの神々しいまでのお姿でした。
大満足で、三宅島への帰り途。またまた甲板に大の字になって空を見上げていると、夕方の光のなかに、一面のイワシ雲。久しぶりに雲を見つめてロマンしていたら、突然の大波に船がゆれて、大の字になったまま甲板を3メートルも滑って大笑いされてしまったのでした。(^^;) クソッ!! ( つづく)
《最後のオマケ編》
楽しかった三宅島滞在も最後の朝。
トノは無理がたたってか、朝から腰痛でうなっています。2週間前には私の腰痛を笑っていたのですが、いわく、「もう、人の腰痛は笑わない。。。」(^^;)
イルカで完全燃焼したのか、トノに気遣ってか、またまたダイビングはパスのきじむなあさんを置いて、この朝は6時起きの早朝ダイブです。人数が少なくなったので、ペンションのオーナーのボートを出そうと港へ行くと、きのうイルカ・ウォッチングに行った漁船が漁から帰ってきたところで、渡りに船とばかり、ポイントまで船を出してもらう。このあたりが、地元に顔の聞く宿でダイビングするうまみというもの!!
ポイントは、ふだんあまり行かない場所で、ダイナミックな地形に、たくさんの魚がむれている穴場。透明度もいいし、水温も26℃もあって、「これが東京都の海??」という別世界。荒れていないだせけにソフトコーラルもびっしりついていて、そこに群れるキンギョハナダイの数は、それこそ金魚すくいの桶のよう。その間を、きれいな紫色のレンテンヤッコが、そちこちに泳いでいます。
魚の種類はそう多くはないけれど、魚影の濃さはピカイチ。珍しいトサヤッコのペアや、タキゲンロクダイ、ナメモンガラ、そしてまだ穴に頭を突っ込んで就寝中のウミガメまで見て、「早起きは三文の得」を地で行くようなダイビングでした。
「トサヤッコね」と余裕を見せていたトノも、ビデオの前を延々泳ぎまわる画像を見らせれて、思わず口がヒクヒク。。。 でも、腰は痛くてタンクはかつげない。
朝食後、同じ場所にもう一度潜って、今回は正味2日半の間にダイビング5本と、ドルフィンスイム、おまけにタイドプールでのシュノーケリングと高原散策までこなしてしまうという、充実の三宅島滞在になってしまいました。
ここまでやった私も贅沢だけど、同じ日程でドルフィン・スイム1回しか行かずに、ダイビング器材を濡らさずに送り返してしまったきじむなあさんって、もっと贅沢なのかも知れませんね。
と、いうわけで、私ときじむなあさんの三宅島報告はおしまい。
Nifty「冒険とフィールドライフフォーラム」
1997・11掲載
*著作権は魚っちゃーさんhttp://www.fishwatcher.com/にあります
許可無く転載等はお断りいたします
私の心を育んだ環境は幸いなことにいつも自然に囲まれていた。
私の生まれた静岡には海があり山があり、幼児期を送った東京の家の周りにも森があり川があり、田畑があった。
嫁いだ土地には山があり、我が家の隣は雑木林だった。
大都会東京の中で、静かな郊外と言われる自然に恵まれた土地にいながら、いつも何かが足りなかった。
幼い頃、一人っ子の私に大人達はいつも「この子には競争心がない」と言い、通知表にもいつもそう書かれていた。
ハングリー精神がないのである。十二分に与えられた環境の中で、外に目を向ける事もなく、とりたてて欲求も無く、可も無く不可もない生活をしていた。調布市と世田谷区に挟まれた場所にあった女子校も、外部に目を向ける必要の無い、温室のような場所だった。 そんな中で憧れのように思春期なりの悩みや苦しみを貪った。
大切な人達が去って逝くのを送らなければならない年代になり、身近に「生」や「死」を目の当たりにすると「あの人は幸せだったのだろうか?」「自分は幸せなのだろうか?」と考えることが多くなった。それは自身だけのことではなく、一本の花、一羽の鳥、一匹の魚、全ての自然は幸せだろうか?と考えるようになった。
幸せとは、「命」が「あるべき姿」でいられる事なのだろうか・・・
あらゆる意味においての「自然」がそれであると思った。
とは言え現在の世の中で、原始に返ることが出来ないのなら、弱肉強食が常ならば、その中でどれだけ命が輝けるかが幸せなのだろうか? そんなことをぼんやりと考えていた。
ダイビングが縁で訪れた島で答えの欠片を拾い集めた。
大好きな三宅島でも、そしてこのヤンバルでも輝いて又泣き叫び切ない悲鳴を上げる自然を見た。
良くも悪くも「故郷」を見た気がした。「ここに住みたい」初めての欲求は生温い生活を送ってきた私にとってとてつもない夢だった。
私の最後の命の欠片をここに埋めたい。それは生まれて始めての「意思」だったのかもしれない。
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何故?の訳
やんばるに住みたいと思い始めてから10年以上の時が過ぎると、立場や仕事、しがらみの鎖は想像以上に大きくなり、同時に「やんばるへ!」の気持ちもさらに大きくなっていった。
家は東京の郊外八王子の住宅地にあった。居間の東の窓からは一年に百種以上の鳥が見られた年もあった。鳥達の来る雑木林の向こうは造成地。ニュータウンの建築が盛んで、高層アパートが林立する近代ベッドタウンは、気がつくと雨後のタケノコのようにそびえていた。
山桜の老木を倒し、藤の花を蹴散らして森林を削った結果として、行き場のない鳥達は僅かな緑を求めて雑木林に集まる。
狭い雑木林に戸惑いながら、住宅地にまで姿を見せるアオゲラやサンコウチョウ。
コゲラなどはスズメの数より多いと思われる程だった。
そんな年は数年続き、鳥達の種類も年毎に減っていった。
どこかにいい場所を見つけたのか、いずれはそこも追われるのか、東の窓からの風景は寂しくなっていった。
夜になると現れたタヌキもキツネもいつの間にか姿を消していた。
コンクリートに囲まれた僅かな雑木林も緑の輝きを失い、
ほこりを被った新緑の中で、人々は憩いを貪った。
人々のストレスは鳥達や雑木林と同じ。どんなに自然のままでいたくても、時代の欲に飲み込まれ逆らうことに疲れ、欲求や感情の波は叩き潰されていた。裏を探りあう人間関係は疑心暗鬼に満ちていた。
国頭の海の中で、森の中で、素直な感情を思い出せたら。教えるのではなく、感じてもらえたら・・・
知識や教育ではなく、宗教でもなく、一緒に遊びたい。
「自分を思い出して!」それがここでガイドをしたいと思ったきっかけの一つだった。
私達がここで貰ったものを少しでも分けてあげたい。
おこがましいけど何かできるはず。自然の為、人の為,いや多分何より自分の為なのだろうが、その「為」には全てに賓欲でありたいと思った。
望んでも得られないものを私達は貰ったのだから、少しでもほんの少しでも返してゆきたい。
ここに来られたというだけのことが、都会人にとっては掛替えのない贅沢だということが、ここの人々に理解できるだろうか?
培った立場を捨て、安定した充分な収入を捨て、親族に理解を求め、来たかった島。
海が、森が素晴らしい場所は世界中に沢山ある。
でも私達が惹かれたのは人々の温もり。それが自然に反映された島に思えた。龍宮はここだと思えた。
その想いがいつまでも続くように、森が海が恵の場であるように、その為に何をすべきかはこれからの私達の課題である。
選択は間違っていなかったと思いたい。間違っていたのなら、少しでも正しい方向へ導ければいい。海も森ももうダメだと言う人もいるけど、国頭は今は迷路の中。
引き返すのなら距離は短い。出口を探らず留まれば末来は見えてこないだろう。
ここで生まれ育った訳ではない、白紙の私達に何が見え、何が出来るか答えが出るのはまだ先の話だ。
2001 秋
欠けた月夜のハクビシン 99/7/1
2003・5 新型肺炎のウイルスを持っているかも?!
とかで突如悪者にされたのがハクビシン
彼と初めて出合ったのは初夏の我が家の屋根だった。
嬉しくて少し調べてみたら、移入種の他にも日本固有種
が棲息している可能性もあるとか。
彼らは悪魔じゃない。野生動物との距離が問題なのだ。
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Nifty:fadven/mes/18/4488
今夜は十二夜・・? 十三夜・・・?
星のない空に、満たない月が霞んでいる。
そのハクビシンに始めて会ったのは6月16日。
ちょうど2週間前の夜のことだった。
前日から出始めたホタルを見に行きたかったけど、滑りやすい雑木林で雨にでも降られて、滑って転んで谷底に転落して、やっとの事で探したライトの側にマムシでもいた日にゃぁ・・・などと、色々考えている内に時は経ち、仕方がないので洗濯物を干しに二階に上がった。
雨の日は二階の一部屋が物干し用に占領されていて、南の小窓の外は玄関の上の屋根になっている。
なんとなーく、視線を感じていた。
その屋根が大好きだった愛猫はもういない。彼女のはずはない。
でも、何かが見ている。どこかの猫が遊びに来たのかな?
網戸の外に目を凝らすと、くっきりと白い鼻筋の通った顔があった。
死んだ猫も、目から鼻にかけて白い線の入ったお祭り娘だった。 まさかね・・?「そ・・そんなわけないよね・・・(^▽^;」と、もう一度見直した。愛猫より面長でちょっと大きい。
なんと、あんたったら、ハクビシン?!?
立て付けの悪い網戸を必死になって開けようとした瞬間、驚いたハクビシンはもんどりうって逃げた。が、そこは屋根の上。覆い被さるように茂ったカクレミノの木に捕まり損なって、ガンガラガンガンガン!!と植木鉢やらバケツやらが散乱した地上に落ちた。。。。。と、思う。
慌てて外に出てみたが、もうどこにも姿はなかった。
騒ぎに気付いたもう一匹の愛猫は、その後一時間ほど屋根の臭いを嗅ぎまくっていた。
先週も来ていた。が、私の足音に気付き今度は上手に逃げていった。
そして昨夜。網戸越しに欠けた月を眺めていたら、足音ともつかない足音がした。頭は動かさず、そっと目だけで追うとハクビシンがテラスからこちらの屋根に渡ってきた。
目が会い、息も出来ない緊張がお互いの間を通り過ぎた後「やぁ!」と、微笑んでみた。。。。「なんかモンクある?」というような目つきで固まっている。
長い時間とも思えた。多分、ほんの数秒なのだろう。見詰め合った後、何事もなかったように去って行った。
どこかで飼われていたものか、雑木林の住人か、私がここに住んで10年経って、始めて会ったオトモダチだった。v(^^)
鐘楼のムササビ 99/7/10
自然観察のようなものがルールより先にブームになり、
とにかく野生動物を追いかけるツアーが流行りだした。
ハイウエイ論争の真っ只中の高尾山では
静かに暮していたムササビ達も脚光を浴びた。
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Nifty:fadven/mes/18/4554
建材としてはあまり値のでそうもない杉木立は、それでも荒く枝を打たれ、天狗の住むその山は木立の奥を弄る視線を拒むかの様に、視界の先に綾縞を織り成して尚、優しく人を拒絶する霊山である。
地元では古くから「縁切り山」と言われてきた。
天狗の焼餅か、山の懐の大きさに魅せられるのか、比べられた男にしてみれば、たまったものではない。嫁取りの頃には山と張り合えるくらい大きな男になれ。という啓示だったのかもしれない。
6月の梅雨の合間、運良く雨は上がっていた。
同行は三宅島で話しが決まった案内人のりょうさんと waguちゃんとトノという堂々と山と張り合える殿方ばかりである。。。と、いうことにしよう!
高尾山に向かう電車からの景色はしだいに山の色を増し行く。
念願のムササビに会える(かもしれない)期待で、一人はしゃいでいた私は・・・・・キップを無くした(T_T)
山歩きは苦手である。いや、苦手と言いきれる程歩いたこともない。でもその日はムササビという餌が目の前にぶら下がっている。
平地用に買ったトレッキングポールだって持って来た。
小学校の遠足の時も歩いた同じ場所だ。今なら鼻歌で行けるはずだ。
コンビニで貰った「高尾山さわやかマップ」を手に、ケーブルカーを鼻で笑いハイキングコース一号路に入った。
足取りも軽かったのはものの5分くらいだったろうか・・・
「これ、ネコにお土産だよ」 waguちゃんから手渡されたマタタビの枝は、無感動にリュックの中に放り込まれた。
後悔は先を歩いて行く。そいつを追い越さない限り私に希望はなかった。
くねくねだらだらと続く上り坂は、ただ進むだけしか救いもなく、りょうさんの後悔モードの励ましだけが耳に届いた。
何時の間にか暗くなった道を、waguちゃんは弾むようにぴょんぴょんと先に行く。追いつくと道の真ん中で両足を投げ出して休んでいる。さながら小天狗のように、またぴょんぴょんと進んで行く。
二人のお陰で何時の間にか「後悔」は私の後ろで息があがって口もきけなくなっているトノに乗り移っていた。
数年前、白ヘビがまっすぐに登っていったタコ杉を越えれば浄心門。
薬王院はもうすぐだ。百八段の階段のある男坂を避け、女々しい私は女坂。
子育て地蔵を越えて大杉原に到着した。
八王子の街の明かりが木立の向こうに見える。天気がよければ新宿までも。
そんな背景の杉林でムササビを待った。「鐘撞堂に3匹いますよ」降りて来た人に教えられ、向かってみた。
山門をくぐると学生らしいグループが沢山いた。定期的に観察を続けている人達のようだ。赤いセロファンが付けられたライトの先を見ると・・飛んだ。
目の前を黒い影が通り抜けていった。「・・・・・みたぁ・・・見ちゃった」鐘楼にはまだいるらしい。階段を駆け登り人の集まる鐘楼堂へ行った。
堂の中程に顔が見える。ムササビだ。照らされた幾つかのライトの中で飛ぶのを躊躇うかのように人々を見ている。飛ぼうとするムササビと、今か!と息を飲む人達のお互いのプレッシャーのような妙な空気がそこを支配していた。
かわいい。。でも、私の求めた空気じゃない。ここは違う・・・そう思い始めた瞬間、追い詰められたようにムササビが飛んだ。同時に周囲に閃光が走った!眩いばかりのフラッシュがムササビの行く手を阻んだ。トタン屋根にぶつかる音が、私に怒りと悲しみを運んだ。何かが違う!その何かを見つけられずに立ちすくんだ。
これ以上もうここにはいられない。
再び大杉原に戻ると、程なく声が聞こえた。「あ、呼び合ってる。どこ?」二匹のシルエットが街の光を受けて杉から杉へ飛んだ。そしてまた一匹。美しい。
「もっと飛びまくってたんだけどなぁ」すまなそうに言うりょうさんの記憶は十年前。私はこの十年以上この街の変化を見て来た。それでもまだいてくれた事が嬉しかった。こんなに何匹も見られたことが嬉しかった。
そして自分の無力さが悔しかった。
また来たい。そっと会いに来たいな・・・
数日後、梅雨はいよいよ本番に入った。
リスが大騒ぎ 99/10/3
移入種の問題は難しい
いつまでに住み着けば固有種なのか、生態系は
人為的に囲むべきか、自然に流されるべきか・・・
とりあえず人間にとって都合が悪ければ「駆除
すべき移入種」ということになるようだ
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Nifty:fadven/mes/18/4982
シマリスは何度か飼ったことはあるのですが・・・
うちに来る子はたまたま大人しかったのか、あまり鳴き声の記憶がないんですねぇ。。。短くキョキョキョ・・くらい?
動物園でも、野生でも、忙しないけど大人しいものだと思っていたのですが、シマリスだったからかなぁ?
東伊豆の城ケ崎あたりにはタイワンリスがいっぱいいることを、何年も通って、今回始めて知ったのでした(^▽^;
ダイビングを終え、機材を洗っているとけたたましく響く声が。
文字にするのは難しいけど、ケン?キャン?キョン?コン?(-_-;)
何かの鳥でも近くにいるのかな?と、声のする方に行ってみると、一匹のタイワンリスが松の木で盛んに鳴き喚いているんですねぇ。
力いっぱい騒いでいるみたいに、一声ごとに大きな尻尾がぴゅんぴゅん揺れていて、可笑しいやら可愛いやら。。。
その様子からすると怒って威嚇しているみたいなのだけど、いくら木の枝を探しても、ほかに何もいない。。。で、リスの視線を辿って見ると、木の根元には二匹のネコが平和にお昼寝をしていました。
両手までジタバタさせて怒っているのに、二匹のネコは夢の中・・・
ひとしきり騒いで騒いで、ついに諦めた様子で、でもやっぱり騒ぎな がら、木の上に帰って行きました。
そして今朝、ペンションの窓の外から聞こえるいつもの伊豆の朝の音・・何かの鳴き声?まどろみの中で、ここでは聞きなれた声を遠ざけるために布団に潜って我に返ったんですね。
あ・・・タイワンリスだったんだぁ。。。
夕暮れの里山 98/5/29
嫁入り谷戸という名のそこは、湧き水が水田を潤している小さな貴重な秘密の里山
2軒の農家は本家と分家。梅が咲き、桃が咲き、菜の花が咲き、山桜が咲きその花吹雪はこの世のものとは思えない妖艶な美しさだった
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Nifty:fadven/mes/18/3167
「ホタル?もう出てるはずだよぉ」という一言を
「ホタル、もういっぱい飛んでるよ!」と勘違いして(ぜーったいに事件の証言者にはなれないな。。。こーいう人は)今年始めて夕暮れの里山に降りてみた。
いつもなら少し遠回りでも車で行くのだが、夜の雑木林を歩きたかった。
私の里山は(本当は他人様のものだけど)雑木林の向こう。
懐中電灯とヘッドライトを用意して、林に入った。
昼でもうっそうとした獣道はもう真っ暗。。令夫人としてはちょっとだけびびりながら、ネコをお供に追いたてられるように(恐くて振り向けない)ひたすら前へ前へ。。。
目をつぶっていても行けるはずの、ほんの3分ほどの距離がやけに長い。
星もない。細い月さえ薄い雲に消されようとしている。
懐中電灯のまるい光だけを頼りに「だいたい日本は明かるすぎる」などと余計な事を考えていると、いきなり視界が広がった。 谷戸だ。明るい。
遠いはずのニュータウンの明かりが田畑をうっすら包んでいる。
農家の窓から漏れる光は田んぼに写っている。。。なんだこれは。。。!
あってはならない風景を見てしまったような気さえする。
大好きな里山はこんな都会ではいけないのだ。。身勝手な怒りが湧く。
うちのネコはここまでがテリトリー。この先は農家のシャムネコの縄張り。
一歩も進めなくなった彼を置き去りにしてあぜ道を降りる。
時間が早いのかな。。ホタルはいない・・第一明るい。。。
あぜを降りると田んぼは左右に分かれる。いつもならホタルはここにいる。
街の光の届かない左の田んぼで少し待つことにした。
植えられたばかりの小さな稲・・と、水面に波紋。。。見るとカニが一匹。
サワガニにしか見えないが、地元では「クソッカニ」と呼ばれる、煮ても焼いても食べられないラッキーな奴である。
ひとしきりカニと戯れていると、頭上には5匹のコウモリ。
アブラコウモリだろう。農家の屋根裏にでも住み着いているに違いない。
虫を追って蝶のように舞う彼らの姿は好きだ。
右の農家の裏から「ウオー」とも「ワオ」とも聞こえる声と共に飛び立ったのはコノハズク。我が家の方向へ一目散に飛んで行った。
「フクロウは子供の頃、よく捕まえたよ」ここが実家の(今は我が家のお向かいの)御主人に今日、聞いた話だ。「あいつらは昼間動けないんだよ。巣のウロは知ってるからさ、昼間捕まえちゃぁ夜放してやるんだ」40年前の子供の遊びだ。。。なんかいいな。。。
「この山にはムササビは昔からいない?」「いねぇなぁ。。でかい木がないし、高尾のほうが住み易いとよ・・」そんな会話を思い出していると、また一羽、後を追うように飛び立った。
カエル達の声が耳をつんざく。アマガエルに殿様ガエル。稲のェ元にしがみついて、鳴きまくっている。小さなオタマジャクシも沢山いる。
今度は昼間、カエルの卵を探しに来よう。。。
アメンボもゲンゴロウも、昼間ゆっくり会いに来よう。。。
あぜいっぱいに茂っていたクレソンはすっかり刈り取られてしまった。
帰りにいっぱい摘んで行こうと思ったのに、少しのこった枝には白い花が咲き出して、可哀相になっちゃった。。。やめよう。
それにしてもホタルはいない。一時間もここにいるのにまだ出てこない。
まだ早かったみたいだ。来週また来てみよう。
ホタルの変わりに思いがけず出会えた彼らに「またね」と言いながら、あぜ道を引き返した。
朝の早い農家の明かりはすでに消え、真っ暗になった道を登りつめたとき、いきなり懐中電灯の光が消えた。バッテリー切れだ。。。
私の横は農家のご先祖のお墓。。。「お・・お邪魔してますぅ・・ちょっと通して下さいねぇ。。。怪しいものではありませんよぉ・・・」つけかえたヘッドライトの光の中に妙なものが写らないことを祈りながら、待っていてくれたネコと一緒に一目散に雑木林を駆け抜けた。
風の匂いが変わった。。。もうすぐ雨が降る。
夕暮れの里山 98/6/18
久し振りに読み返してみると、東京にいた頃と今の環境はあまり変わっていないのかもしれない。
花の咲く季節や種類は変わっても、延びすぎた雑草や枝に振り回されるのはここ沖縄も同じ。違うのは、今は蛍にほとんど毎日会える。しかも半年間も♪
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Nifty:fadven/mes/18/3167
数日間、紫陽花の花に振り注いだ雨は昨日止んだ。
梅雨の晴れ間、住宅街のシャラの木には白い花が咲き出した。
夏椿・・・薄く白い花びらは、まだ少し寒い空気の中に夏の訪れをそっと知らせてくれる。
我が家のシャラは?と見ると、なんと茂りすぎたハナモモの枝に小さな蕾を隠している。
カクレミノもライラックもキンモクセイもカキも、すっかりのびのび育ってしまった。 これはまずい。。。
出来る事なら思いきり枝を伸ばし、大きく育って欲しいのだが我が家の庭は猫の額。このままではクチナシの花が咲いてもわからない。
三脚を抱え、ノコギリ片手に今日は植木屋さん。
見上げればたいした枝でもないのに、降ろしてみると私の背丈をゆうに超える。10本程切るとガレージのスペースはいっぱい。
広がりすぎた枝を落とし、雑木林に捨てに行く。
何度か往復する足元には、ピンクのネジ花と、うす紫のホタルブクロが咲いている。
そうだ、今夜はホタルに会いに行こう。。。。。
夕方、日の沈むのを待って家を出る。
懐中電灯の光の輪の中にはホタルブクロがいっぱい。
山百合の蕾もかなり大きく膨らんできた。
斜面の畑に出ると、この前まで植えられていたダイコン達の姿はなく、次ぎの作物の為に奇麗に耕されている。
まだ少し明るい谷戸にはコウモリが飛び交い、星達も清んだ空気の中に光っている。
ホタルはいない。
この前見つけた田んぼにも、周りの植え込みにもまだ姿はない。
ちょっと早かったかな。。。一服しながら待ってみよう。
闇にタバコの火がゆれる。田んぼに赤い火が写る。。。
・・・と、木立の奥に光が一つ。ホタルだ。
タバコの火に答えるように、息に同調するように光っては消える。
やがて光は木立の中にふたつ、みっつ、よっつ・・・
光達の乱舞が始まる。
コウモリの飛び交う畦道に戻ると、ここでもすでに光が舞っている。
試しにもう一本、煙草をつけてみた。
10匹ほどのホタルが近づく。私に向って飛んでくる。
火に止まったら大変。あわてて消すと、相手を見失ったホタル達は私の腕に羽を休める。
一匹が私から飛び立った。見ると木の葉の裏に微かな光。
二つの光は優しく囁くように重なった。
一枚の木の葉の裏から漏れる光に立ちつくし、いつの間にかやって来た子供たちの声に我にかえった。
「すみませーん。何してるんですか?」小学校二三年の女の子。
握られた手の隙間から光が漏れている。
「ホタルを見てるのよ。飛んでる光が綺麗ね」
「・・・うん」もじもじと、背中に回した彼女の手がそっと開くと光が飛んだ。
帰りの畦道を登りながら、光の飛ぶ闇を見下ろした。
あの子が大人になった時、この谷戸はここにこうしてあるだろうか。。
あの子が母親になった時、子供達とこの光を見られるだろうか。。。。
あの子の手から飛んだ光は命をつなげてくれるだろうか。。。。。。。
あ・・・
花の香りに思わず あ・・・
鮮やかな色に あ・・・
ふと見つけて あ・・・
八王子の家の周りにはこんな花がありました
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あ・・・キンモクセイ 97/9/22
Nifty:fadven/mes/18/1378
ひまわりは種の重みで首をうなだれてしまいましたが、酔芙蓉はまだまだ盛り。
月下美人達や夕顔もまだ花を付けてくれています。
花壇の小花達は真夏の休暇を終えて、また元気を回復してきました。
忘れずに咲く彼岸花も土手に真っ赤な花を飾ってくれます。
夜中、ネコを追って外に出ると大好きな香り・・・
あ・・・キンモクセイ
毎年いつの間にか蕾みをつけて、香りに気づいて見上げるとオレンジの小さな花をいっぱいに咲かせてくれていました。
この時期、うちの前は金木犀ロード。
並んだ家々のすべてに植えられています。
夜中、ちょっと外に出て深呼吸するのが楽しみな季節です。
・・・と、夕べここまで書いて、一夜開けるとチェーンソーの音。。。
東の土手が刈られているぅ!!
今年は例年より一月くらい早く下草刈りがはじまったようです。
銀のすすき、紅の葛、黄色いオミナエシに白のオトコエシ・・・
みーんな刈り取られてしまいました(;;)
草いきれの中で金木犀の香りが少し悲しい日になりました。
あとで拾ってこよーと。。。。。
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ケイトウの丘へ 97/10/27
Nifty:fadven/mes/18/1616
先週のこと。何日も小春日和の続くのどかな午後、しばらくご無沙汰だった大好きな里山を覗きに行ってみました。
野菊の咲く雑木林はもう冬支度が始まり、マツボックリやドングリが、足の踏み場もないほどに落ちています。
里山の丘の畑は真っ赤なビロードを敷き詰めたように、日差しをいっぱいに浴びて輝いていました。
出荷に遅れたケイトウの花です。
「鶏頭」というよりは、この園芸種は「毛糸」がぴったりの暖かそうな赤い花です。
お花屋さんには季節はずれ。もう枯れるにまかせて放ってあります。
「いくらでも摘んでいいよ」農家のおばさんにそう言われていたので、花鋏を手にここまで来ました。
両手いっぱいの「毛糸の花」をかかえて雑木林から出てくると、早速近所の人達に見つかって、私の手に残ったのは5本だけ。。。
暖かそうな真っ赤な花は、数日の間みんなの家のお客様。
「木枯らしが吹いたら枯れるから・・・」
居間に飾られたケイトウを眺めていたら、おばさんのそんな言葉を、思いだしました。
今日は木枯らし一番が吹きましたね。。。
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あ・・・沈丁花。。。 98/3/10
Nifty:fadven/mes/18/2413
5月の陽気かと思えば、翌日は白銀の世界。。。
天気予報によると、これこそが「暖冬」というものらい。
半年も手を入れていない我が家の庭は人が住んでいるとは思えないほどの荒れようで、雪に負けた枝があちらこちらにぶら下がっている。。。
窓辺のギンギアナムやプリムラに水やりをしながら、ふと外に目を向けると、
あ・・・沈丁花。。。。
雪帽子に硬く閉ざしていたはずの沈丁花の小さな蕾が、春に誘われて一つ、また一つ開き始めていました。
窓を開けると部屋いっぱいに春の香りが、まだ少し冷たい風と一緒に入ってきます。
そういえば、玄関先の福寿草やパンジーも光の中で輝き出し気温の変化について行けない私をよそに、花達は元気に笑っているようです。
気がつけば啓蟄も過ぎてしまいましたね。
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今宵・月食・月下美人 99/7/29
Nifty:fadven/mes/18/4698
夕刊を見ていたら「今夜の月食望み薄?」という見出しに、天文好きの友人の「28日は天文ショーだよ!」という言葉を思い出した。最大食は20時34分。時計を見ると9時に近い。
これは大変と、庭に飛び出してみた。
雑木林の上に右下の欠けた大きな月が出ている。
シルエットのような雑木のてっぺんの梢が風に揺れている。
通り過ぎる雲に時折霞む欠けた月。
月の回りの虹色の輪が木々をより黒く輝かせている。
夕暮れ過ぎまで騒がしかったセミ達は眠りについたのか、今は地上の虫達が、リンリンコロコロと鳴いている。
風が涼しい気持ちのいい宵。大きな蕾がほころび出した。
二年振りの月下美人が咲く。待ちきれない香りはさっきから風に遊んでいる。
少し開いた純白の花びらの中に繊細なオシベが少し揺れた。。。
夜の女王に夜の王女、満月美人に月下美人。続々と出番を待つ我が家の貴婦人達は一夜限りのシンデレラ?
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夏の夜の花 99/8/26
Nifty:fadven/mes/18/4879
冬枯れの雑木林で見つけた赤いカラスウリ。
中身は綺麗に鳥が食べてしまったので、乾いた寒さの中でドライフラワーのようにカラカラになって、それでもまだあの朱赤は鮮やかだった。
ヒヨドリの巣が見つからなかった今年の春のリースは、マツボックリとカラスウリで作ったんだっけ。。。
もう夏が過ぎようとしている今、そんな事を思い出していました。
今年もカラスウリの花が咲きました。
白い星型の花です。花冠の周りはレースのように繊細に長く糸を引くなんとも幻想的な夜の雌花。
夜、外にいる。それだけでドキドキしてた子供の頃、この花はほんのすこーし恐かったっけ。ガイコツのような種の出てくるカラスウリの花と知ってますます神秘的に見えた魔女の花。
真夏の夜は不思議な花が沢山咲きます。
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たけのこ100本! 98/4/21
やんばるに来てから筍掘りをしていない
土の香りと刻々と変わる新芽の動きが楽しかった。
竹の種類が違うので「掘る」というより「折る」のが
沖縄流らしいけど、一度はやってみたいものだ
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Nifty:fadven/mes/18/12714
上天気の月曜日。こんなにいい日なのにやることがない。
こんなに良い天気なのに部屋掃除なんかしたくない。
庭の雑草の花も咲いてしまって、抜きたくない。。。
外に出たい!・・・そだ!たけのこ掘りに行こう!!
気分が滅入る。。こんな日は一人は寂しい。
つーことで友人に電話してみたわけ。(主婦の特権)
彼女はタケノコが大好きなんだけど、去年引越しをしてしまったので「ちょっとおいでよ」というわけにはなかなか行かないのだが、一つ返事で乗ってきた。やった!
到着が丁度お昼頃になったので、外でランチ。おかずは
朝摘みのツクシとフキノトウとタンポポの天婦羅。
数日前、強い風にまるで絵のように花びらを舞わせて(花吹雪!花嵐!)私を一時幻想の世界へ誘った山桜は今は若葉がとても奇麗。
スミレやたんぽぽが咲き乱れる栗林は鳥の声しか聞こえない。アマドコロやチゴユリ達がそっと出迎えてくれる秘密の場所。。。
花を避けて腰をかけ、緑の風の中のコーヒーは格別。
白や黄色やアゲハの蝶がタンポポを巡っている。。。
たけのこ掘りも忘れて昼寝でもしたくなるうららかな場所。。。
が、今日の目的はたけのこ!
竹という植物は間引きが必要なのだ。入り込めないような竹薮になってしまう前に新芽は取り去る必要がある。(言い訳じみてはいるが、断じて人様の土地ではない)
小さな目覚まし時計を2時間後にセットして薮に入ると、今年の雪で折れ曲がった気の毒な姿に行く手を遮られる。
ジャングル部隊の兵士のようにかき分けかき分け、芽生えた命の鼓動を探りながら奥へ奥へ。。。
この時点ですでに私の手に下がった袋はいっぱい。重くなった袋をそこここに置きながら、まだ私の欲はおさまらない。
見つけたものは残らず取りたくなる。。。困った習性だ。
目に入る汗を袖で拭きながら掘りまくる姿からは「深窓の令夫人」などとても想像が出来るわけもなく、どこの工事現場でも立派に通用する「よいとまけのおばちゃん」そのものである。我ながらたいしたもんだ。
これが毎日の仕事ならこんなに辛いものもないだろうが、欲と二人連れのタケノコ掘りはただただ楽しい。ストレス解消にはもってこいなのだ。
通りすがりのハイカーや散歩の人達にほぼ強引に押しつけても、まだまだ持ち切れない重さになってしまったタケノコに二人で呆然とし「どうすんの?こんなに」「どうしよう。。。八百屋で買ってくんないかなぁ。。」
などと言いながら、なぜか目だけはまだ地面を探っている。
目覚まし時計のベルが鳴った。これがないと真っ暗になるまで我を忘れてしまうはず。「もう地面は見ない!」と言ってから10本以上見つけてしまい、どうにもならない重さに、家へ戻ってキャスター付きのかごを持ってきたほど。
我が家のガレージに広げた(ぶちまけた)たけのこは100本以上。。。
彼女の実家や友人に送ったダンボール3つ。
一番大きなお鍋に入るだけのたけのこを貰って、あとは彼女に押し付ける。
「お宅はいいじゃん、家族4人だしみんな好きでしょ?」
「うちは私しか食べないもん!こんなに食べたら体からタケノコが生えてきちゃうよ」
ほとんど喧嘩腰である。。。
後で知ったが、この日は今年一番の暑さ。
ガレージに座り込み、たけのこの山を見つめ、めまいを押さえながらアイスクリームを2こも平らげた私達って。。。
大きなごみ袋2個に収まった皮にため息をつきながら、湯で上がったタケノコにほっと一息ついていたら、外でお向かいの奥さんの声。
「実家でこんなに貰ってきたの!たけのこ欲しいでしょ?」 !!!
ナイショの海獣は白日の下にさらされることになった。
それも思わぬ形で
Nifty:fadven/mes/18/1193~のツリーより抜粋
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1997年8月22日
「ザトウクジラ」の時にちょっと触れた「内緒の海獣」
昨日から某テレビ局が新たに取材に入っていて、今日はヘリで空から追うようです。
スクープが海獣にとって良いのか悪いのか・・・
御蔵のイルカのような大ブームにはならないにしても、しばらくはマスコミに追われる事になるのでしょうか?
数年前にその情報を知り、調査や保護をしていきたいと思っていた私にとってはちょっと複雑・・・
「海獣」とは、他の会議室で話題になった「ジュゴン」です。
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8月23日
さて、ジュゴンですが沖縄ではすでに大変な問題になり始めているようです。
米軍ヘリポート反対運動はこちらのニュースでも、ちらほら見るようになりましたが、その場所がジュゴンの生息地域に入っているようなのです。
反対派は問題をすり替えつつあり、ジュゴン保護を表に出してくるようです。
色々な立場からすでに調査は始まっているようですが、それぞれの思惑の違いから、あまりはっきりとした話は聞こえてきません。
水族館は「保護」という名目で「捕獲」したい様子だし、水域をサンクチュアリにしたいグループもある様だし、ただただヘリポート反対のおいしいネタにしたいグループもあり、今は混乱状態の様子です。
来週には資料も届くと思いますが、この問題は米国を巻き込んでの大騒ぎになるのでしょうか?
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8月26日
どうも海獣に関しては冷静な判断が出来なくなっていて、今回も公にしてもいいものだろうか?とは思いつつ、沖縄ではすでに表面化している事を知り、思わずアップしてしまいました。
昔は繁殖していたジュゴンが、戦争で食料となり絶滅したと思われていたのに、ちらほら現れ出し今では年間を通して情報が得られるようになって来た矢先の出来事で、色々な意味で慌てたのは私一人ではないはずです。
あわてて調査を出しても会える確率はUFO並と言われる中で、じっくり腰を据えて観察研究が出来る機関はどのくらいあるのでしょうか?
研究者は手元で飼育をしたいでしょうし、その気持ちは解らなくはないけど野生のものは野生のまま見守ってやれないものでしょうか?
網にかかってしまったり、病気になったりしたジュゴンの手助けや、海の環境(アマモの生育の為の赤土流失など)を、厳しく見張っていくのが、研究者の役目なのではないでしょうか?これからの水族館や動物園の方向は希少生物と言われていますが、それらが暮らす場所を守る事こそ、まずやるべき事ではないのでしょうか?
それぞれの利益が絡み合う複雑な問題になってしまいそうですが、公になった事で少なくとも密漁だけは減る事を願います・・・
この国では希少生物を秘密にそっとしていると、秘密で獲っちゃう人がいるんですよね・・・究極の選択ですねぇ・・・・
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8月28日
その生物を守るにはその生息環境ごと守らなければ意味がない。しいてはヤンバルの森を守ることにつながりますね。
それが巡って人間が守られるわけで、それを思うとせっかく返還される貴重な森の行方が心配です。
「緑」といえばゴルフ場という国ですから。
*中略*
「お仕事」という名前の横暴は、「組織」という鎧を着「義務」という旗を翳しながら、まかり通ります。
矛盾を感じながらも、やらなければならない人もいるでしょう。
旗を降ろし、鎧を脱ぎ捨てた時、個々には何が見えるのでしょうか?
*中略*
地道な努力より目先の利害・・・今の若者文化そのものですね。
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フォーラムは掛け合いなので相手のいることです。
著作権の関係上「中略」が多くなってしまいますが、概略はおわかりいただけると思います。
この後、沖縄のジュゴン問題は大きく発展し、テレビ局や保護団体のヘリによる追跡など見るに耐えない調査とスクープ合戦が続きました。御旗の元、今日に至ってもこの問題の解決は見えません。
Niftyにfadvenというフォーラムがあった。私は18番会議室【珊瑚礁】の一員だった。
ザトウクジラ
97年7月、この文章をフォーラムにアップした後、「閉ざされた公」という場の怖さを知った。
裏を取るという作業は、当時の海獣保護のプロをもってしても単なる噂話あるいは勘違いという結論をせざるを得なかった。
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Nifty:fadven/mes/18/1034
公の場で言って良いことかどうか私は今も揺れています。
単なる噂話かもしれません。
裏も取っていないので、聞いたまま感じたままで・・・
今年3月。
沖縄北部の海岸に、親子のザトウクジラがやってきました。
ここ数年、冬から春にかけてクジラの声は聞こえていたそうですが、姿を見せてくれたのは今年が始めてで、しかもビーチのすぐそば、深度3~5メートルの、本当に手が届きそうな場所で遊んでいたそうです。
一日中、本部から辺戸岬までゆっくりと泳ぎ回り、夕方にはビーチに戻り、それは2週間程続いたようです。
ケラマへの往復に使っているのでしょうが、やっと姿を見せてくれたその親子に、これからは毎年?!の期待は膨らみました。
ところがある日、漁船がやって来てその親子を捕獲してしまったのです。
子クジラは船上で解体し、親は漁港で解体して肉だけを持ち帰ったそうです。
ケラマに来るクジラは全て個体識別されているはずなので、いなくなれば早い内にわかるでしょう。(肉は300万円にはなるそうです)
イルカの追い込み漁禁止も彼らにとっては、かえって好都合だったようでいつでもどこでも好きな時に漁が出来るようになってしまったのです。
近くには(ないしょの)海獣も住んでいます。
ブームにはしたくないので、私の口からはまだ言えませんが、でもその子達も殺されてしまったら、本当に闇から闇になってしまいます。
見る人も殺す人も、食べる人も食べない人も、感情的には何とでも言えます。
でも、なにが良くて何が悪いのか、今私はなにをすべきなのかわかりません。
あの親子はただ運が悪かっただけなのでしょうか?
喜んで見ていた人々は、来年も来てくれることを願っています。
彼らには何故知らされていないのでしょう?
地元民だけの問題でしょうか?
事を荒立てたくない気持ちはわかるけど、何かをしたいときには「行き過ぎ」「過激」も、必要なのかもしれません・・・